1616年、朝鮮人の陶工、李参平(通称)が有田町の泉山で磁器の原料となる鉱石を発見。
近くに窯を設けて白磁を焼いたことから、日本初となる磁器の製造が始まりました。
1650年代より東インド会社によりヨーロッパの国々に輸出されました。
積出し港であった伊万里にちなんでヨーロッパでは「IMARI」と呼ばれ、白い素地に描かれた金・赤・緑・黄色などの色使いの美しい絵柄と、繊細で華やかな装飾は、ヨーロッパの貴族に愛されました。
1650年代より東インド会社によりヨーロッパの国々に輸出されました。
積出し港であった伊万里にちなんでヨーロッパでは「IMARI」と呼ばれ、白い素地に描かれた金・赤・緑・黄色などの色使いの美しい絵柄と、繊細で華やかな装飾は、ヨーロッパの貴族に愛されました。
1870年代、ヨーロッパを中心に盛んに開催された万博博覧会への積極的な参加により、有田の名声を確実なものにしました。
欧州におけるジャポニズムの流行とも相まって、日本の美術品は注目を集め、多くの賞を受賞しました。
2016年に創業400年の節目を迎え、伝統ある窯元では古くからの技法を守る一方、次々と新しい取り組みも行われています。
2020年、佐賀の窯からアジア、そして世界へ、「SAGAMAプロジェクト」が始動しました。
2016年に創業400年の節目を迎え、伝統ある窯元では古くからの技法を守る一方、次々と新しい取り組みも行われています。
2020年、佐賀の窯からアジア、そして世界へ、「SAGAMAプロジェクト」が始動しました。
有田焼は透き通るような白さの素地に鮮やかな絵付けが織りなす美しいデザインが特徴です。
早くから輸出用につくられ、欧州の厳しい要求に応えることで、日本だけでなく、世界の名窯にも影響を与え、日本を代表する磁器としての地位を築いていきました。
それから400年、食器から美術工芸品まで幅広い生産を続けています。
1600年代より伊万里大川内山では、佐賀藩の御用窯が置かれ、将軍家などへ献上する特別にあしらえた焼き物「鍋島」が焼かれていました。
「秘窯の里」と呼ばれ、技術の漏えいを防ぐため、険しい地形に関所が設けられました。
現在の窯元は、高度な技法を受け継ぎながらも新たな技術を取り入れるなどし、「伊万里・鍋島焼」として約350年の歴史と伝統を引き継いでいます。
1600年代より伊万里大川内山では、佐賀藩の御用窯が置かれ、将軍家などへ献上する特別にあしらえた焼き物「鍋島」が焼かれていました。
「秘窯の里」と呼ばれ、技術の漏えいを防ぐため、険しい地形に関所が設けられました。
現在の窯元は、高度な技法を受け継ぎながらも新たな技術を取り入れるなどし、「伊万里・鍋島焼」として約350年の歴史と伝統を引き継いでいます。
キメが粗い土を使った自然で素朴な質感と多彩な装飾技法が特徴。
「一楽、二萩、三唐津」という茶碗の格付けが、茶の湯の世界ではあり、唐津焼は多くの茶人から愛されました。
近年は、シンプルで独特の渋みが、お茶や料理、花などを引き立て器として人気があり、飽きのこない一品を探す楽しみもあります。
古唐津の流れをくみつつ、素朴で温かみのある釉調を表現
武雄焼は、土味を生かした茶色系統の「陶器」と、白く輝く「磁器」の両方が存在します。また、鉄絵緑彩、象嵌、刷毛目、鉄絵、緑褐釉、染付けなどのさまざまな技法を扱います。
武雄市一帯で焼かれている土器は、素朴な土物である「唐津系」が主流といわれていますが、色絵などをもって華やかな文様を取り入れつつ、現代にふさわしい器づくりを行なっています。武雄焼きは、伝統を引き継ぎながら、個性を尊重し、多様な作品が生み出されます。素朴で温かみのある落ち着いた色調が特徴です。
古唐津の流れをくみつつ、素朴で温かみのある釉調を表現
武雄焼は、土味を生かした茶色系統の「陶器」と、白く輝く「磁器」の両方が存在します。また、鉄絵緑彩、象嵌、刷毛目、鉄絵、緑褐釉、染付けなどのさまざまな技法を扱います。
武雄市一帯で焼かれている土器は、素朴な土物である「唐津系」が主流といわれていますが、色絵などをもって華やかな文様を取り入れつつ、現代にふさわしい器づくりを行なっています。武雄焼きは、伝統を引き継ぎながら、個性を尊重し、多様な作品が生み出されます。素朴で温かみのある落ち着いた色調が特徴です。
土こね3年、ロクロ10年と昔から言われ、思い通りの土にするまで3年もかかります。じっくりと寝かせた土を丁寧にもみ、空気を抜き、柔らかくほぐします。
土を乗せたろくろを回転させながら濡らした手で土全体を覆い、上下に動かすと、土が自由に形を変え始めます。指先に全神経を集中させろくろを回し続けると、やがて美しい器の姿が現れます。
成形し乾燥させた後、再び轆轤に乗せ、カンナで均一になるよう丁寧に削ります。
その後、本焼成の際の収縮率を小さくし、絵付けしやすくするため、およそ900度の低い温度で焼きます。
「呉須」は、焼くと藍色に発色する天然の鉱物を用いた絵の具で、有田発祥の古い技法の一つです。模様の緻密な輪郭を細筆で一気に書き上げます。
下絵の線描きを終えた線の中を塗ることを「濃み」と言います。特徴的な筆は太く、たっぷりと含ませた筆の根本を絞りながら表面張力と器の傾きで流れるように塗り、余った絵具は手の力を緩めることで筆の元に戻ります、正に職人技です。
”釉薬”は窯毎に独自に調合されます。釉薬が均一にかかるよう、無駄のない手さばきで器を通します。描いた下絵はいったん見えなくなりますが、焼くと透明のガラス質になり、肌につやが出て文様が浮かび上がります。
燃料に薪やガスなどを使い1300度ほどの高温にして焼き上げます。呉須のみで加飾された「染付け」と呼ばれる製品は、この本焼成の工程で完成となります。
本焼成が終わった製品に赤・緑・黄・金など、呉須の藍色以外の絵の具を釉薬のガラス質の上に施します。白磁に上絵付したものを「赤絵」、染付け(下絵付け)したものに上絵付したものを「染錦」と言います。
赤絵付で施した絵具の定着させるために、上絵窯(赤絵窯)という上絵を焼き付ける専用の窯で700〜800度の低温度で焼きます。
完成した作品は、成形直後の素地よりも15%ほど縮みます。このように、良質な原料と手間隙をかけ熟練した職人が一品一品丁寧に仕上げています。